2009.09.13 Sunday
それは立正大学の夜学から始まった
この大学・学部・学科を選んだのは、実にくだらない理由です。
(1)自宅から通学できた
(2)立教大学に名前が似てた
(3)前年度の入学倍率が1.1倍だった
(4)一般推薦なら面接だけで良かった
(5)夜学だから学費は自分で捻出できた
私はベビーブーム生まれだから、小学生の頃から入試が大変だと脅されていました。
だけど、勉強は嫌いだったから、高校は川崎南高校(偏差値45)だったし、模擬試験なんか受けても全然ダメ。
そこで大学受験雑誌を立ち読みしていたら、一般推薦特集をやっていて、前年度の倍率が1.1倍の4年制大学を見つけ、受験したのです。それが立正大学。
面接は簡単なもので、一生懸命勉強している人たちに申し訳ないくらい簡単に合格してしまい、こんなんで大学への切符を貰っていいものかと、さすがに不思議に思いました(^^;)。
別に私は地理が好きと言う訳ではないから、まぁ、適当に通学して卒業すればいいやと軽い気持ちでした。
適当にアルバイトしながら、学食で250円のカレーを食べて授業に出る。友人たちと適当にバカ話をして帰る日々が楽しく、今でも楽しかった記憶が残っています。
そして夜学で一般教養科目の「法学」という科目と出会いました。
担当は金子勝教授で、今でも同校で教鞭をとっています。
同姓同名の教授が慶應にいるが、別人です。
この科目で、法律とか法規範とか、憲法がどういうものなのかを大学レベルで知り、ものすごく法学というものに興味を持ちました。
そこで法学部への転部・転学科・転編入を考えるようになっていました。
立正大学の法学部は、残念ながら熊谷にしかありません。当時川崎市民の私にとって、熊谷は遠すぎだから、大学内での転部・転学科はありえません。
だから、立正大学を退学して法学部のある大学へ編入することを決意したのです。
参考にしたのは安井美鈴氏の「大学へのもう一つの道」。
当時はこの本くらいしか編入・転部に関しての解説書が無く、隅から隅まで読みまくりました。
しかし、当時、法学部への編入を受け入れる大学は少なく、あったとしても外国語の試験や高度な試験も課されるため、仕方なく一般入試で受けられる大学を選定することにしました。
(1)自宅から通える範囲
(2)入試が自分向き
この2点を満たす大学は、わずか2校でした。
大東文化大学と神奈川大学。両方とも受験科目が英語と小論文を選ぶことができたのです。
まぁ、早稲田も似たような入試制度があったけど、さすがに身分不相応なのでやめました。
いろいろ考えたけど、立正大学を退学して別の大学を受けるなんてことを親に言う勇気もなく、「落ちたらどうする」と言われたら身も蓋もない。金もなかったので1校だけを受けることにしました。それが神奈川大学です。理由は実にくだらなくて、「地方の人から見たら国立っぽい響きがあるから」です。
科目は英語と小論文。英語が100点満点で小論文が150点満点。計250点だから、6割得点するとなると150点。小論文で満点を取れば、英語が0点でも合格する可能性がある。
友人たちに話をすると、こぞって「お前には無理」と言われるが、時分としては何か合格しそうな確信があったので、反対しそうな人には相談せずに神奈川大学を受験しました。
……しかし、周囲の予想通り、あえなく不合格。
……ところが、補欠にひっかかり、繰り上げ合格となる。
だけど、ここからが問題でした。
初年度納入金が、108万円。半期分の納入でも60万円が必要です。
さすがに18歳の私に60万円は無い(-_-;)。1週間以内に金を払わねばならず、ここで初めて親に打ち明けた。
一連の私の行動を説明すると、さすがの母もびっくりしていました。
確かに、秋から冬にかけての私の読書量や、何かいつも考え事をしている顔をしている私を見て、何かへんだと察してはいたようです。まぁ、息子がそこまでやったのなら……ということで、母の定期預金を取り崩して、無事に入学させてもらえました。
特に浪人せず、予備校代もかけず、いつの間にか大学を受けて合格していたという意味では、親に迷惑をかけなかった受験時代であったけど、行き当たりばったりで、勝手に物事を進めてしまう18歳だったということになりますね。
そう。
こうして考えてみると、私にとって、最低の偏差値であるはずの立正大学文学部二部地理学科が、人生のターニングポイントになっているんですよね。
あの時法学部へ行こうなんて思わなかったら……。
転部や編入のことを調べなかったら……。
小論文を鍛えていた時期がなかったら……。
今の俺は無いじゃん。
普通のサラリーマンをしていたかもしれませんね。
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