2011.11.18 Friday
民事訴訟の正義って何だ?
いま、ふと思い出した。
神奈川大学の大学院で、あるゼミに参加していた時、「松本さんは民事訴訟の正義ってどうあるべきだと思いますか?」と質問され、「すみません、それってどう答えればいいんでしょう?」と聞いたら、そんなことも知らないのかと言わんばかりに呆れられた。
だって、今の一般的な話題でいうなら「原発はどうあるべきだと思うか?」とか「TPPはどうすべきか?」くらい、大雑把すぎる、重たい話題なんですよ。
あとで師匠に聞いたら「ああ、手続保障の話じゃないのか?」と言われてやっと理解した。
質の悪いクイズ番組のような、人の知識を試す質問をされたことに気づき、不愉快になりました。
手続保障というのは、民事訴訟で戦う場合、原告も被告も裁判にアクセスする手続が保障されて、初めて正義がなされるのだ……というもの。
でも、実際に本人訴訟で10も20も裁判を経験すると、そんなの絵に描いた餅だってことがわかるんだよね。
早稲田のサイトに手続的正義のことが書いてありました(1〜19ページ)
実は私の無知を笑った教授も大学院生も、自分が原告にも被告にもなったことがない。
一方で、私は20歳の時に初めて民事調停を利用し、22歳で支払命令(現在は支払督促)を使い、24歳で小切手訴訟をサポート、28歳で慶應を提訴した経験があるのですが、日本の裁判所で、「手続保障が正義」だなんて絵空事を聞いたことがありません。
それどころか、ひどい裁判所は「なんで弁護士を依頼しないのか」と、素人を排除する言動をする。
法律学を勉強し始めると、誰もが最初は新幹線のレールの上を走っている錯覚に陥ります。
凹凸もなく、レールに乗って、進んでいけば、正しい目的地に着くのです。
ところが、実際の法律は、凹凸もあれば線路が途中で無くなっているもの、進めば進むほど迷うような道まで様々です。その典型が私が横浜地裁で負け、その後知財高裁で逆転勝訴したスメルゲット事件。
スメルゲット事件では、一審を担当した庄司芳男裁判官は相手の弁護士の肩を持つし、私の発言は止めさせる、挙げ句の果てにはバカ判決を書く始末。著作権法という法律が整備されていながら、そもそも何が著作物かという大前提が何も示されていないという、法整備の怠慢に、私は驚きました。
↑
こんな事件を経験すると、そもそも裁判所は本人訴訟などは認めておらず、条文のあやふやな部分については弁護士がいる方を勝たせるために努力するという、とんでもなく愚かな思考をするってことがわかります。手続保障とは、当事者が弁護士であろうと素人であろうと外国人であろうと、適正な手続きを保障しなきゃいけないっていう、法手続上の基本中の基本です。自由心証主義とは別に検討されますが、裁判官の自由心証によって、手続きそのものが無意味と化しているのだから、手続も自由心証も実質的には同じ。
こんな感じで、実際に訴訟を経験すると、電車のレールどころか荒野を馬車で走っている気分なのです。
民事訴訟法って、手続法だから、基本的には新幹線のレールです。だから分かりやすい貸金請求事件などは簡単に判決が書けます。証拠の有無だけで勝敗がわかります。しかし、イレギュラーなことが生じた場合には、フリーハンドで書いていかなきゃいけないんですよね。そういうイレギュラーを知ってか知らずか、知ったかぶりをして「裁判はこうだ」なんて言い切っちゃう人がいるんだからこらまたすごい。
レールの無い道、つまり手続があいまいなものを見ずして、手続保障がなされていると思い込んでしまうのです。
私にしてみれば、裁判を体験し、ある程度身に沁みないと、手続保障が何たるかって理解できないような気がします。
こう言っちゃナンですが、童貞が恋愛論を語るくらい、無謀な話じゃないのかな。
まぁ、そんなことを言うと、刑事法の教授は逮捕・起訴された経験がないと教えられないってことになるので、私の意見は極論ではありますが、ろくに知りもしないで知ったふりして人に講釈するってのはヒドいなぁ……と感じているのであります。
すんません、どうでもいい思い出話でした。m(_ _)m
神奈川大学の大学院で、あるゼミに参加していた時、「松本さんは民事訴訟の正義ってどうあるべきだと思いますか?」と質問され、「すみません、それってどう答えればいいんでしょう?」と聞いたら、そんなことも知らないのかと言わんばかりに呆れられた。
だって、今の一般的な話題でいうなら「原発はどうあるべきだと思うか?」とか「TPPはどうすべきか?」くらい、大雑把すぎる、重たい話題なんですよ。
あとで師匠に聞いたら「ああ、手続保障の話じゃないのか?」と言われてやっと理解した。
質の悪いクイズ番組のような、人の知識を試す質問をされたことに気づき、不愉快になりました。
手続保障というのは、民事訴訟で戦う場合、原告も被告も裁判にアクセスする手続が保障されて、初めて正義がなされるのだ……というもの。
でも、実際に本人訴訟で10も20も裁判を経験すると、そんなの絵に描いた餅だってことがわかるんだよね。
早稲田のサイトに手続的正義のことが書いてありました(1〜19ページ)
実は私の無知を笑った教授も大学院生も、自分が原告にも被告にもなったことがない。
一方で、私は20歳の時に初めて民事調停を利用し、22歳で支払命令(現在は支払督促)を使い、24歳で小切手訴訟をサポート、28歳で慶應を提訴した経験があるのですが、日本の裁判所で、「手続保障が正義」だなんて絵空事を聞いたことがありません。
それどころか、ひどい裁判所は「なんで弁護士を依頼しないのか」と、素人を排除する言動をする。
法律学を勉強し始めると、誰もが最初は新幹線のレールの上を走っている錯覚に陥ります。
凹凸もなく、レールに乗って、進んでいけば、正しい目的地に着くのです。
ところが、実際の法律は、凹凸もあれば線路が途中で無くなっているもの、進めば進むほど迷うような道まで様々です。その典型が私が横浜地裁で負け、その後知財高裁で逆転勝訴したスメルゲット事件。
スメルゲット事件では、一審を担当した庄司芳男裁判官は相手の弁護士の肩を持つし、私の発言は止めさせる、挙げ句の果てにはバカ判決を書く始末。著作権法という法律が整備されていながら、そもそも何が著作物かという大前提が何も示されていないという、法整備の怠慢に、私は驚きました。
↑
こんな事件を経験すると、そもそも裁判所は本人訴訟などは認めておらず、条文のあやふやな部分については弁護士がいる方を勝たせるために努力するという、とんでもなく愚かな思考をするってことがわかります。手続保障とは、当事者が弁護士であろうと素人であろうと外国人であろうと、適正な手続きを保障しなきゃいけないっていう、法手続上の基本中の基本です。自由心証主義とは別に検討されますが、裁判官の自由心証によって、手続きそのものが無意味と化しているのだから、手続も自由心証も実質的には同じ。
こんな感じで、実際に訴訟を経験すると、電車のレールどころか荒野を馬車で走っている気分なのです。
民事訴訟法って、手続法だから、基本的には新幹線のレールです。だから分かりやすい貸金請求事件などは簡単に判決が書けます。証拠の有無だけで勝敗がわかります。しかし、イレギュラーなことが生じた場合には、フリーハンドで書いていかなきゃいけないんですよね。そういうイレギュラーを知ってか知らずか、知ったかぶりをして「裁判はこうだ」なんて言い切っちゃう人がいるんだからこらまたすごい。
レールの無い道、つまり手続があいまいなものを見ずして、手続保障がなされていると思い込んでしまうのです。
私にしてみれば、裁判を体験し、ある程度身に沁みないと、手続保障が何たるかって理解できないような気がします。
こう言っちゃナンですが、童貞が恋愛論を語るくらい、無謀な話じゃないのかな。
まぁ、そんなことを言うと、刑事法の教授は逮捕・起訴された経験がないと教えられないってことになるので、私の意見は極論ではありますが、ろくに知りもしないで知ったふりして人に講釈するってのはヒドいなぁ……と感じているのであります。
すんません、どうでもいい思い出話でした。m(_ _)m
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