2012.03.02 Friday
矢吹樹『大学動物園』
えーと、矢吹樹さんの話題の本、『大学動物園』を読ませていただきました。
もちろんちゃんとお金を払いました。
本を読まずに評判だけで批判したり、中身検索だけで判断してアマゾンのレビューをする人がいますが、私は本を買わずに批判したり、評価するのはインチキだと思っていますので、この本を買わせていただきました。
きちんと金を払ってこそ、本の善し悪しを述べることができるのに、その最低限のマナーを重んじない人は、書評を書く権利など無いと思っています。
……で、このポリシーにしたがって、読ませていただきました。
結論から申し上げます。
この本は最高傑作です!
皆さん、ぜひとも買うべきです。
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なんて、お世辞にも言えません。
画像の本の帯に「なんじゃこりゃ?もう、どうにかしてくれ!」とあります。この言葉は、そのまんま、この本の内容を表します。読者である私自身が、出版社や当人に言いたい言葉。
この原稿を受け取って、文芸社は本当にこれでミリオンセラーを記録するとでも思ったのか?
マジで大学の裏ネタ、本音をユーモラスに描いてあるのか?
本当におもしろくてタメになるのか?
今でこそ、ネタ元となった大学が特定されているけど、発行当時は「某大学」でしょう?
「ある国のある人が悪いことをしました」のように、あまりにも具体性の無い話は話がつまらなくなる原因です。
これを特定された大学名に直したとしても面白くならないのだから、この企画は土台無理があったんじゃないの?
この本が唯一使えることといえば、ダメ企画でも金を払えば出版できることを証明しただけだぞ。
自費出版と企画出版の差が、極めて明確に分かりました。こんなひどい本は、『大衆化する大学院』以来、久しぶりに会いました。
この本は、全編にわたって独りよがりの「愚痴」。大学をこう改革すればこのように合理的になるとか、理想的になるといったことは全くほとんど書かれていません。
陰口・愚痴を集めただけの駄作
反吐が出そうになったのは、ある教授が自分の女子学生を論文博士に推薦するために、その教授が矢吹教授に博士論文の共同執筆者としての同意を求めてごり押し(脅迫)してきたというエピソードです。なぜその教授が女子学生の博士論文に肩入れしてごり押ししてきたのかを推測するシーンでは、「女の武器を使ったのかもしれない」と言い放っています。
このエピソードが事実なら、確かに問題なのですが、普通に考えれば「女の武器を使った証明」などはできない訳です。証拠も、事実を暴くことの必要性もない本件について、書籍のネタにすることですか?
今回、その「ある教授」のイニシャルが書かれていました。今回の騒動のおかげで、ほぼその教授を特定できちゃいますけど、事実かどうかわからないことについて、そこまで書いちゃっていいんですかね?
もっと言わせていただくと、矢吹教授はその女子学生が実質的な共同執筆者でもないのに関わらず、同意書に署名・押印したとあります。ごり押しされた被害者であるとともに、不正な学位授与に関し、研究者としての立場がありながら、学位の不正授与に加担した人物でもあります。それをまるで全てが他人が悪いと書くのはいかがなものか。
「俺は泥棒していない、見張っていただけだ。悪いのは主犯のあいつなんだ!」という理屈と似てないか?
准教授なら「教授には逆らえなかった」のはわかるけど、矢吹さんは教授です。自分が理屈を曲げておきながら、自分は正しいと言い張るのはおかしくないかい?
書名「大学動物園」の説明は?
おそらく、本能のままに行動する大学関係者を動物に見立てて茶化してやろうというのが本書の意図でしょう。
しかし、大学動物園という書名を使うからには、「教授の皮をかぶったオオカミ」とか「敵もサルもの、サル真似論文を繰り出すサル軍団」、「学位論文審査はキツネとタヌキの化かし合い」的な、動物エピソードがあるのかと思ったら、それも無し。
この手の暴露本のオチは、最終章に自虐ネタを盛り込むのがお約束だがそれも無し。例えば「大学に不必要なのは逆立ちしたカバ」という見出しに、「それは何を隠そう、この私だ。ワハハハ〜」というやつね。
他人の企画ながら、ここまでアイディアが出てしまうのは自分でもすごいと思う(^^;)。
作家としてのスキルは無さ過ぎ
本書は250ページもの分量があるので、ワード原稿で、軽くA4×100枚くらいは書いたと思われます。
しかし、本文を通して伝えたいメッセージはほとんど見当たらず、章立ては「学生の悪口」「大学当局の悪口」「教員の悪口」「知人の悪口」の、4章立て。解決法も問題提起も展望も何も無し。ただの言いっぱなし。さすがに文章は整っているけれど、これはただのブログおまとめ本とちゃいますか?
冗談だとは思うけど、「この本がミリオンセラー(100万部)を記録したら続編が出る」とありましたが、その100分の1でも達成できると思ったのか?
「おわりに」のところに、こんな文章がありました。
「誰のことを言っているのかがわかるのは、本書の中で紹介された手ごわい奴ら本人だけなので、特定できない人の悪口を言う分には何も問題はないであろう。筆者は、読者の中に本書に登場した人物がいることを期待している」
要するに、「今まで自分にひどいことをしてきた人がこの本を読んで、本の中で逆襲されたことを知り、怒りに震えながらも反論できない姿」を想像し、期待しているのです。
つまり、本書は矢吹教授の意趣返しのために出版されたということです。
一般の読者のことなんか考えていない。ただの私怨晴らし本です。そういう意味でも『大衆化する大学院』と同じレベルだな。
それはそうと、本書を読んでいると、江戸川乱歩の小説を読んでいるようで恐ろしいです。
乱歩の小説って、自分の親が殺された事実を知った子どもが、殺した連中をつきとめて、子孫までも殺すっていう、「昔の怨念で人殺しネタ」が多いですよね。
矢吹教授の生い立ちなどを聞くと、少し気の毒な気もしますが、それでも私はこんなくだらない本に1470円を払った消費者として申し上げます。
この本は最低。買うな!
以上、プロ作家の書評でした。
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