2018.08.22 Wednesday
夏休み明け、不登校でもええやん…というもうひとつの考え方
夏休み明け、学校へ行きたくない人たちへ。
1.宿題の問題(やってない、叱られる恐怖)
2.いじめの再発(夏休みを経て、あいつらと再会する恐怖)
3.再び勉強一辺倒の生活(いろんな試験、学校行事等々)
こういう理由で、自殺とまではいかないけれど、トホホな気持ちになっている人も多いと思います。
勉強が苦手なあなたにとって、宿題が提出できないということは本当にきつい試練です。
学校が再開することで、あの執拗ないじめをしてくる連中と顔を合わせなければなりません。
そして再びあの集団生活を体験しなければならないというのも嫌ですよね。
いろんな問題が山積してしまって、あなたが自殺を選択肢に入れてしまっているなら、学校へ行かないという選択肢もありです。
ハッキリ言いましょう。先生たちも万能ではありません。
それどころか、面倒くさい生徒はいなくなればいいと、本気で思っている先生もいます。
もしあなたがそんなしょうもない先生に当たってしまったら、どんなに「いじめられています」、「苦しいです」というシグナルを出しても、先生には届きません。
先生に届けるには「学校へ行かない」のが一番のシグナルなのです。
私の中学時代、それはそれはひどい学校でした。
私は「理科の自由研究をやらなかった」という理由でビンタされたのです。理不尽さに耐えかねて、「自由研究はやらない自由もある」と主張したら、教師はなんと「それなら教師は殴る自由がある」と言ってビンタするのです。
高校時代、私は朝日新聞に名前が載りました。チェルノブイリ事故を受けて、原子力発電問題を考える集会を組織したら、校長から呼び出され、退学を迫られたのです。
大学ではサークル活動で同級生からの嫌がらせを受けたり、私を嫌う大学教授からのアカハラがありました。
たまたま私は「理不尽な嫌がらせ」よりも「学校へ通うモチベーション」が勝ったから不登校にならなかったのであって、それが逆だったら不登校になっていたかもしれません。そして、自殺を考えたこともあります。
大人になっても、実はそういういじめはたくさんあります。
私の場合、2012年、神奈川県内の某私立大学の教員が書いたネットメディアの記事の中で、1つ、誤りがあったことを発見し、その人物に、親切のつもりで指摘しました。「その記事は誤っていて、その記事をもとに誤った行動をとる読者がいる」と伝えたところ、当の執筆者は2ちゃんねるにスレッドを立て、私の関係する大学・学会・出版社などに怪文書を送りました。
この状況に乗じ、当時、民主党の国会議員秘書だった人物や、沖縄在住の専門学校講師、都内の広告代理店のサラリーマンたちもネットの誹謗中傷に関わりました。
こういうリンチのような理不尽な行為は、残念ながら大人になっても起こりうるのです。
「だから学校のいじめや理不尽な処遇はガマンしろ」
というのではありません。
いつの時代も、どの世代も、こういう理不尽な人は必ず出てくるものなのです。
そんな時にはどうすればいいか。
私は当時の2ちゃんねるを提訴して犯人をあぶり出しました。刑事告訴もしたし、民事訴訟も行った。彼らの勤務先にも状況が伝わることになり、職場での処遇が悪くなった人もいれば、いまだ就職活動をしている人もいた。そんなことをしているうち、沖縄の専門学校講師は別の件で逮捕される事件に発展した。
そう、いじめる人は、大人になっても他人をいじめるのです。他人をいじめなければ精神状態を保つことのできない、かわいそうな人なのです。
宿題を含めて学校の勉強がきついことと、いじめられることとは直接の因果関係は無いかもしれない。
だけど、どちらにも言えることは、やばいことが起こっていたら、頑張るという選択肢だけではなく、「逃げる」という選択肢もあるということ。
宿題を出さないことがやばいと思ったら、それはそれでええやん。成績がちょっと悪くなるだけじゃないか。先生に死ぬほど怒られたとしても、先生たちも暇じゃないから放っておけばええやん。
小中学校の成績は、卒業後5年経ったら消去されるし、高校に行けなくても高卒認定試験という、高校卒業資格を与えてもらえる簡単な試験があるじゃないか。
あなたが自殺を選ぼう考える世の中は、その世の中の方が誤っています。
何かやばいことが起こったとき、それはそれでしょうがない。プランBで行こう(別の道を行こう)と考えられる精神状態になりましょう。
JUGEMテーマ:不登校・半不登校
ツイート